戦後の木造校舎の特質


 全国各地に点在する木造校舎は、明治~戦前のものが主流であり、戦後の木造校舎は極めて稀であり、希少価値があります。
その背景には、大正12年(1923年)の関東大震災などの災害により、木造から鉄筋コンクリート造へと建物の構造指針の変化にある。

 戦後の一時期は、戦災校舎の再建、新制中学校の設置に伴い、木造校舎が建設され、昭和24年に日本建築規格(JES)木造小学校建物・木造中学校建物が制定されましたが、同時期に、鉄筋コンクリート造学校建築物標準設計に関する委員会が設立された。
昭和25年には、建築基準法が制定され、鉄筋コンクリート造校舎の標準設計が示された。

また、昭和21年(1946年)5月29日に「臨時建築制限令」が公布され、木造住宅について、料理店、劇場、映画館等、そして床面積が50㎡を超える住宅、店舗、事務所の新築、増築を原則として禁止した。

昭和34年(1959年)には、伊勢湾台風などの災害により、木造建築禁止(日本建築学会「建築防災に関する決議」)が発令され、これ以降の昭和60年(1985年)までの25年間、大型木造建築は建設されなくなった。

以上のことなどから、戦後に建てられた木造校舎が極めて少なく、現存していない原因と思われる。

現存する木造校舎

 
■兵庫県 丹波篠山市立篠山小学校                         ■兵庫県 丹波篠山市立八上(ヤカミ)小学校